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高岡茂夫さん/拓銀破綻…終焉と生還

8 分前
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【住区BOX⑦】

 高校野球の名解説者として人気を博した高岡茂夫さん(76)には、忘れられない年がある。47歳だった1997年。胃がんの手術を受け、その4カ月後、所属する北海道拓殖銀行が経営破綻した。社会人野球の選手、監督として所属し、会社員としての舞台でもあった「第2の故郷」。2回掲載の2回目は、激動の年を振り返った。(村野森)


テレビで高校野球の解説をする高岡さん
テレビで高校野球の解説をする高岡さん

スキルス性の胃がん

 

 89年に拓銀の監督を退いた高岡さんは、円山支店の次長に就任し、同時に日本野球連盟で五輪選手の発掘、育成を始めた。札幌市内に2階建ての家を建てたのは93年。坪20万円程度の時代で、敷地60坪。家庭菜園もできるお気に入りの家だった。その後、関連会社「TBK(たくぎんビジネスサービス)」に出向。そんな充実の日曜が97年夏、唐突に暗転した。


 高岡さん(以下敬称略)ある朝、家内に顔色悪いね、と言われたんです。朝から晩まで球場にいて、疲れてたんでしょうね。家内の妹が1年前に乳がんを患ったときの顔に似ていたみたいです。いつもは言うこと聞かないけど、胃カメラをのむことにしました。そうしたら、精密検査してくださいと。札幌厚生病院で1週間検査入院したら、スキルス性の胃がんが見つかりました。手術しても、成功率は50%以下と言われました。


 フジテレビの人気アナウンサーだった逸見政孝さんが同じ病で亡くなった4年前のニュースを思い出した。覚悟を決め、7月10日の手術に臨んだ。8時間かかると言われたのに5時間で終わった。それが、待機していた夫人の不安を募らせたという。手の施しようがないから諦めて傷口を閉じたのではないかと。末期がん患者ばかりだった4人部屋で、疑心暗鬼になった。


 高岡 家に帰るとほっとしましたが、体力がなくなっていた。73キロの体重は58キロになっていました。仕事はできるだろうと8月から職場復帰しましたが、全然だめ。立っていられないので半日勤務にしてもらいました。そんな折、拓銀経営破綻のニュースが届いたんです。経営悪化の報道はありましたが、つぶれるとは思っていませんでした。


 破綻した都市銀行の業務が地方銀行に引き継がれる異例の構図となり、高岡さんは北洋銀行のグループ会社「北洋オフィスサービス」の送信集中部次長となった。


 高岡 上司に、野球に関わっているとクビになるかもしれないよと助言されました。術後で体力が戻っていなかったこともあり、連盟の仕事はきっぱりやめました。3年後にJR北海道から監督で呼んでいただいたときは、野球部から3年離れていたので「浦島太郎」の気分でした。


 高岡さんは、一度離れた野球界から求め続けられた。JR北海道で実質8年半監督を務めた。60歳だった最後の年の夏に前立腺肥大の手術を受け、病理検査でがんが見つかったが、その後も札幌国際大で指揮を執っている。24年まで約20年間、高校野球の解説者としても活躍した。その原点はやはり、拓銀にある。


 高岡 現役を12年やらせてもらって、監督も4年半やらせてもらって。野球だけじゃなく、一企業人としてどうあるべきかというのをだいぶんアドバイスいただきましたから。


 愛すべき古巣はなくなったが、自らはがん生還者として命をつなぎ、いまだ野球に関わっている。激動の97年から変わらぬたたずまいの2階建ての自宅で、高岡さんは運命の妙を感じている。


 ◆高岡茂夫(たかおか・しげお)1949年12月27日生まれ、大阪出身。内野手。北陽(現関大北陽)―法大から北海道拓殖銀行へ。引退後に監督を5年務めた後、日本代表コーチ、日本野球連盟技術委員などを経て、01~10年JR北海道監督、18~20年札幌国際大監督。高校野球解説者としても知られた。現能美防災(株)北海道支社顧問。 


(第1162号 2026年10月1日 引用)








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