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堀井和人さん/4世代つなぐ「緑の魂」宿る家

  • 5 分前
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【住区BOX⑤】

 大阪市内でスナックを営む堀井和人さん(78)はかつて、プロ野球の敏腕スカウトとして名を馳せた。現役時代は南海ホークスの外野手。父数男さんも南海の外野手として活躍した過去があり、日本で初めて親子とも日本シリーズに出場した記録を持つ。堀井さんには、今なお続く野球人生の原点になった風景があった。(村野 森)


親子2代南海ホークス


大阪市内でスナック「堀井」を営む堀井さん
大阪市内でスナック「堀井」を営む堀井さん

 思い出の場面は1950年代後半、大阪市内の2階建ての戸建て住宅が舞台だ。小学校低学年だっ

た堀井さんは、母と7つ下の幼い妹との3人で父の帰りを待っている。父は南海黄金時代のスター外野手。自宅から5キロほど離れた大阪球場が仕事場だった。


 堀井さん(以下敬称略)2階の物干しから大阪球場のナイターの光が見えるんよ。2階建ての広い家で、80坪くらいあったんちゃうかな。上町台地の端にあって、家の少し先が急な下り坂。周りに高い建物もないからずうっと遠くまで見渡せた。球場の明かりがフッと消えると、それが親父が帰ってくる合図。母親が夕食を温め直すためにコンロの火をつけるんよ。テレビ中継がなくても、帰るタイミングがわかった。


 酒をたしなまない父は、試合が終わると真っすぐ帰ってきた。ファンと同じように南海電車に揺られ、最寄り駅から徒歩。食事が温まったころ、玄関のドアが開く。殊勲の一打を放ち、さっそうと帰還する姿を誇らしく感じていた。


 堀井 休みの日はよく近所の人にピンポン鳴らされてな。サインしてくださいいうて来るんよ。プライバシーなんてない時代。みんな家の住所を知っていて、電話番号も公開同然だった。親父は「はいはい~」いうて快く応じていたな。


 引退した父がスカウトになった後、堀井さんは法大に進むため家を出た。が、69年のドラフト7位で父のいる南海から指名され、住み慣れた実家に戻った。結婚直後に短い期間家を離れたが、それ以外は両親と同じ屋根の下で暮らした。現役を終えると、父の背中を追うようにスカウトに転身。その後、古くなった家を同じ敷地内で建て替えている。


 堀井 バブルの時期やったな。スカウトは1年契約だからローンが組めない。だから土地の一部を売って、それを元手に建て替えてな。家は小さくなったけど、それでも十分やった。


 スカウト時代は酸いも甘いもかみ分けた。酸いの極みは、引き当てたドラフト1位に入団拒否されたこと。しかも2度。ダイエー時代の89年は元木大介、近鉄時代の95年は福留孝介に振られた。そうかと思えば坂口智隆(02年近鉄1巡目)、T岡田(05年オリックス高校1巡目)ら一世を風靡した選手を獲得もしている。その間ずっと、丘の上の家で大阪の街を眺めながら、ときに旨い酒を飲み、ときにやりきれない虚しさもかみしめてきた。 


 堀井 見える景色は変わった。もう、全然違うわ。


 大阪球場は98年に取り壊された。跡地に商業施設「なんばパークス」が建てられたのは03年。球場と自宅の間にあった天王寺には、14年に高さ300mの商業ビル「あべのハルカス」が竣工した。平屋住宅ばかりだった眼下の町並みは大都会に変貌した。堀井さんはもう60年以上も、同じ場所から定点観測してきたことになる。


 堀井 実は、家をさらにリフォームしてるんよ。娘に双子の孫ができて近くに住んでいたんやけど、一緒に住むことになってな。暮らしやすい二世帯住宅につくり変えてるんよ。


 父との思い出は、セピア色ならぬ南海のチームカラーである緑色。古きよき時代の思い出は自らを通じて子に伝わり、さらに孫へ受け継がれようとしている。

 

 

 ◆堀井和人(ほりい・かずひと)1948年3月15日生まれ、大阪府出身。69年ドラフト7位で南海に進み現役11年。80年に引退後はスカウト。09年に退任後、大阪・心斎橋でスナック「堀井」を開業し、マスターとなる。カウンターのみの9席は野球関係者、南海ファンですぐに埋まる。


(第1159号 2026年8月1日 引用)








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