小林晋哉さん&芳子さん/アスリート夫婦が憩う家
- 8月25日
- 読了時間: 3分
【住区BOX④】
阪急ブレーブスの外野手だった小林晋哉さん(73)は、コーチ、スカウト、フロントとしても活躍しました。妻芳子さん(70)は日本スケート連盟の主要ポストを歴任しており、アスリートカップルとしても知られました。熾烈(しれつ)な戦いの中に身を置いた夫妻にとって、オアシスとなったのが兵庫県内の自宅でした。(村野 森)

元阪急外野手と元日本スケート連盟強化部長
阪急の外野手だった晋哉さんはプロ2年目の1979年、27歳のときに日本スケート連盟で事務職に就いていた23歳の芳子さんと結婚した。知人の紹介で知り合い、交際3カ月で籍を入れた。報道もおおらかな時代で騒がれることもなく、新婚生活はささやかに、そして慌ただしく始まった。
晋哉さん(以下敬称略) 結婚した当時は2軍暮らしでね。フロリダの教育リーグに行っている間に「どっか住むとこ探しといて」みたいな感じやったかな。最初は賃貸マンションやったね。朝から晩まで厳しい練習をして、帰って寝るだけという生活。2年後に長女ができて、手狭になったのでもうちょっと広いところに移ろうかとなった。
知人に戸建ての中古住宅を紹介され、購入を決めた。築10年の4LDK。緑色の屋根のしゃれた新居は、大阪や西宮の町並みを見下ろせる高台にあった。
晋哉 子どもが女の子だったから、学校に歩いて行ける場所にあることが条件やった。幼稚園は送り迎えしたけど、小学校、中学校まで徒歩5分。高校も近かったから大助かりでね。当時は周りにほとんど家もなくて景色もよくて。ただ、その分周りに友達がいなくて、女房は心配していた。
すれ違いの生活を余儀なくされた。87年限りで引退した晋哉さんは、その後も阪急、オリックス、DeNAでコーチ、スカウトなどを歴任。家を空ける生活が続いた。一方、芳子さんも主要ポストを任されるようになる。2010年に日本代表コーチとしてバンクーバー五輪に参加し、12年に強化部長に抜てき。14年ソチ、18年平昌、22年北京、26年ミラノ・コルティナ五輪は監督、強化部長、副部長として支えた。三浦璃来、木原龍一の「りくりゅうペア」の生みの親としても知られ、今年2月のミラノで愛弟子の金メダルに大喜びする姿がテレビに何度も映し出された。
晋哉 野球で出張は多かったけど、女房も遠征ばかり。1回出ると1週間とか10日とか帰ってこない。それが月に2回くらいあった。娘2人が小さいころは、ちょっとかわいそうやった。それでも女房は出かける前に料理を作り置きしてくれていた。2人とも家を空けるときは、お互いのおじいちゃん、おばあちゃんに来てもらった。
ともに過酷な競技の世界に身を置き、ともに超多忙という生活で、落ち着ける自宅があることは大きかった。
晋哉 家に帰るとホッとする。外で腹の立つことがあっても、帰ってくると落ち着くんやね。それは野球もスケートもおんなじ。女房に「しんどいから泊まってきたらええのに」と言っても、必ず帰ってきていた。
芳子さんは6月いっぱいで強化副部長職を退いた。すれ違いながら支え合ってきた夫妻にとって、ようやく穏やかな時間が訪れる。
◆小林晋哉(こばやし・しんや)1952年10月28日生まれ、兵庫出身。育英、京産大、神戸製鋼を経て77年ドラフト4位で阪急入り。外野手として実働10年で、通算47本塁打、196打点、打率2割5分7厘。
◆小林芳子(こばやし・よしこ)1955年12月23日生まれ、兵庫出身。親和女子高までフィギュアスケート選手。関西学院大を経て日本スケート連盟へ。日本代表監督、強化部長、強化副部長を歴任。
(第1157号 2026年7月1日 引用)



コメント