マック鈴木さん/震災の記憶…斜めに傾いた街で
- 8月18日
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【住区BOX③】
神戸出身の元メジャーリーガー・マック鈴木さん(51)が1995年1月17日の阪神・淡路大震災を振り返った。(村野 森)
知らせ受けシアトルから帰国
マックさん(以下敬称略) 震災発生当時、19歳だった僕はシアトルで右肩のリハビリを行っていたんです。知らせを受けて、すぐに帰国しました。代理人だった団野村さんもいっしょでした。

16歳だった92年に渡米したマックさんは、93年にマリナーズと契約したが、春のキャンプで右肩を壊した。だましだまし投げていたが痛みが取れず、94年に手術を受けた。言葉が不自由だった時期。メスを入れるべきか、保存療法を選ぶべきか、吟味する発想も余裕もなかった。メジャー初登板が96年、初勝利は98年だから、実績はまだゼロの時期。先が見えない中で聞いた、故郷のショッキングなニュースだった。
マック 神戸市須磨区天神町にあった自宅は、中が散乱してぐっちゃぐちゃになっていました。家族は無事でしたが、近所には家がつぶれて亡くなった方もいた。(慣れ親しんだ)弓場八幡神社も倒壊していた。町によって被害の程度はまちまちで、まわりの大人たちは、この町は何人亡くなって、この町は何人…という話をしていました。
家族の無事を確認すると、今度は友人たちのことが気になった。
マック 卒業した鷹取中が避難所になっていると聞いて、すぐに向かったんです。美術か技術かの部屋が遺体安置所になっていて、亡くなられた方がどんどん運ばれてきていた。あまりに多くて、斎場で収容し切れなかったと聞きました。教室に行ったら、みんながぎゅうぎゅう詰めで寝っ転がっていました。
友人たちと再会すると、今度は街が気になった。約10キロ離れた市の中心地・三宮に、バイクで向かった。
マック 道はところどころ通れないところがあって、危なくてスピードを出せなかった。(中央区の)神戸サウナのところに行ったら、ビルが何棟も斜めになっていて、倒れてくるんちゃうかって状態で(後日倒壊したビルもあった)。真っすぐのはずのものが不規則に斜めなので、感覚がおかしくなりました。馴染みだった焼き肉屋さんの「慶州」にも行きました。(店主の)おっちゃんが「食材余ってもしゃあないから」って、タダで近所に配ってた。
兵庫県の死者6402人、住家全壊10万4004棟。マグニチュード7.3の悪魔的な破壊力の前に、老築化した木造住宅が多かった町々は、あまりに無力だった。
マック あれからずいぶん時間がたったけど、今の神戸の姿を見ると、ああ、復興したんだなと思うことはありますね。不規則に斜めに傾いていた町が、真っ直ぐに戻っていますから。
マックさんは故郷神戸に対してだけでなく、全国各地の大地震被災地を訪れ激励する活動を続けている。仙台、阿蘇、島根、厚真町、能登…。少年野球大会「マック鈴木杯」で義援金を募り、実際に足を運んで届けているのだ。傷ついた少年少女たちが再び前を向いて歩き出す手助けをしたい。そう、思い続けている。
◆マック鈴木(まっく・すずき、本名・鈴木誠=すずき・まこと)。1975年5月31日生まれ、兵庫県出身。滝川二高を1年で中退後の92年、1A球団の職員兼練習生として渡米。93年にマリナーズとマイナー契約し、95年メジャー昇格。5球団に在籍し、計16勝。02年ドラフト2巡目でオリックスに入団し05年まで計5勝。その後米国、メキシコ、台湾などでプレー。11年は関西独立リーグ神戸の監督を務める。妻はお笑いコンビ・クワバタオハラの小原正子さん。2男1女。
(第1155号 2026年6月1日 引用)



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