【インタビュー】オフィス上森(恵庭市)・上森裕子社長


(写真は同社HPへリンク)


主婦生活が暗転 挽回へ宅建資格



上森裕子社長

 「不動産業の面白さはお金儲けより、地域住民の人生に深く関わらせてもらうところ」。オフィス上森(恵庭市)の上森裕子社長はそう言い切る。


 手間も時間も掛かる、多くの不動産業者が避ける仕事を好んでやってきた。保有不動産処分の相談を受ければ、相続権者を探し出し、1人1人に連絡して親族会議をセットする。戸建てに住む高齢者が賃貸への住み替えを望めば、年齢で難色を示す賃貸物件オーナーを説得する。市からの依頼を受け、町内会の高齢者の集まりで不動産について解説する。

 地域住民の困りごとを一緒に解決するスタイルが評価され、口コミでの依頼が絶えない。


 出身は道東。1980年、結構を機に恵庭に住み始めた。80年代は専業主婦として子育てに奮闘する日々を過ごした。ところが、世間がバブル景気に踊り始めたころ、親族が金銭トラブルに巻き込まれる。この結果、一家は大きな借金を背負うことになってしまうのだ。

公務員だった夫の月給では返済しきれず、しばらくパートの仕事を掛け持ちしてしのいだ。  

 それでも家計はギリギリ。いずれ自分もどこかに就職して正社員の給料を得なければ立ち行かない状況に追い込まれていた。


 当時、子を持つ女性が社員として働ける職場はわずかしかない。資格を持つ必要を感じ、目材したのが宅地建物取引主任者(宅建士)だった。

 

 宅建の勉強を通して社会の仕組みを学べるのも魅力だった。「借金を抱えた一因には自分たちの無知もあった。知識を付けて、二度と他人に都合良く利用されないという思いがあったから頑張れた」。


 猛勉強が実を結び、1回で試験に合格した。バブルはまだ続いていて不動産業界は好況。就職先はすぐ見つかり、宅建士として多くの業務をこなした。客にも恵まれて営業成績を伸ばし、数年で借金を完済できた。


 だがハッピーエンドとはいかない。激しく働き続けたことで、いつしか心身に変調が現れるようになった。思い切って勤め先を退社し、不動産業からも距離を置いた。


地域FMの危機 支援のため起業



オフィス上森社屋

 不動産業の世界に戻るきっかけになったのは、2006年に誕生した地域FM放送局、通称「FMパンプキン」だった。発起人となった友人を手伝っているうち、気づけば自らも創業メンバーの1人になっていた。スポンサー探しで歩き回りながら、番組パーソナリティにも挑戦。にわかに知名度が高まり、行く先々で声をかけられるようになった。


 しかしリーマンショックを機に曲の台所事情は厳しくなる。そんな中、09年7月に局の建物から火災が発生。基材のダメージで放送不能となり、局自体がそのまま消滅する可能性も出てきた。

 一方で一部経済人が再スタートに向けて動き出す。「私も、こんな形で局を終わらせてはならないと考えていた。スポンサーとしてFMを支えようと決めたが、そのためには法人になる必要があって、私がやれる事業といえば不動産業だった」。


 局は経営体制を変え、10年に新しく「e-niwa」の愛称で放送を開始。自身もパーソナリティの現場に戻り、週1回の1時間番組を17年まで担当した。オフィス上森を設立したのは局再開の翌年だ。時報に合わせた20秒CMのスポンサーとして、今も社名が流れる。


 地域を思う心と、人間への興味は人一倍。「私は不動産業に向いていたと思う」。設立11年目に入り、存在感は高まるばかりだ。


第1069号 2月16日発行 9面より

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